先日ツイートした件について深く考えてみる機会があったのでメモ。
私は褒めることと叱ることはだいたい同じ行為だと思っています。ある行動があったとして、褒めるというのは良い面に目を向けてそういう行動を奨励するという外的動機づけであり、叱るというのは悪い面に目を向けて、その行為を繰り返さないような外敵動機づけだと考えています。どちらも上下関係を前提とした行為であり、部下は上司を叱ることもないし、また褒めることもないでしょうから、トップダウンな組織構築を意図しているように思います。
私はそういう組織構造が好きではないので、上司部下同僚にはかならず「さん」という呼称を使いますし、呼び捨てにしたり君付けで呼ぶ部下が管理職に昇格した際には「さん」で呼ぶように強くお願いしてきました。そして、ホメたり叱ったりせずに感謝するという行為でフィードバックを心がけるようにしています。
という状況で「もっとホメて欲しい」という訴えを聞いて
なんで上下関係を欲しがるんや!、そいつらだけ明日から「君」づけで呼んだろかー?
と憤慨していたのが先日のことでした。
で、上記のことをネタにコーチングを受ける機会がありまして、コーチからいくつか指摘されました。その一つが、
「会社へのエンゲージメントを感じる2つの要素として「貢献実感」と「成長実感」がありますが、fmkzさんは貢献実感に偏っているように思います」
というものでした。
確かに、貢献実感は成果とか昇給昇格に強く結びつくもので、行動承認は軽視しているなぁとは思います。でコーチにこのあたりを食って掛かって見たのですが、コーチいわく
「褒める必要はないんですよ、成長したという事実の指摘にとどめればいいのです」
と言われて、ハッとなりました。
叱らない系のビジネス本だと、「叱らず事実の指摘に留める」と書いてあるように「ホメずに事実の指摘に留めれば」いいんだ!と。
よくよく考えて見ると「褒める」「叱る」は表裏一体なのでそりゃそうだとAha体験を得ました。そういう指摘は積極的にフィードバックしようと強く思いました。
しかしながら、自分にとってそもそも成長実感は自分だけが感じられれば満足できるものであり、他人から指摘されるべきものという認識がまったくなかったので、人生の意義を他人に委ねて何が楽しいのん?という憎まれ口だけ残しておきます。
そういう人たちはSOTAに近づくことはできても超えることは無理よね?