「心理的安全性かぁ」と思う出来事があったので、ちょうどGWだしということで少し本を読んでみることにしました。
本書の内容は良かったです。一度は目にしておくと良い本だなと思いました。
一方で次のような感想を持ちました。これは本書に対する感想ではなくて、心理的安全性という言葉そのものに対する感想です。
この「心理的安全性」という言葉もまたDXのように、「成功するチームは心理的安全性が確保されている」という主体のない観察結果を「成功するためには(リーダーが)心理的安全性を確保するべき」というような主体をくっつけたビジネスモデルに落としているように思います。マネジメント向けの「心理的安全性研修」で会社からお金を引っ張るところまでがテンプレですね。
本を読んで面白かったところのメモ
ACT MATRIXというツールの話は大変良かった。コーチングでも似たようなツールを使いますね。
- 心理的安全なチームとは「メンバー同士が健全に意見を戦わせ、正遺産的でよい仕事をすることに力を注げるチーム、職場のこと」
- チームの心理的安全性は、あくまでもチームパフォーマンスの先行指標
- 心理的安全性はチームのために必要なことを、発言したり、試してみたりしても、安全であるということ
- リーダーシップはリーダーだけの行動ではない
心理的安全性を作る責任は誰にあるのか?
ここから本題です。「心理的安全性って手順が逆なんじゃないのかなぁ?」と感じたのは、人事に近いところのマネージャーと雑談していた際に 「あのチーム(チームビルディングがうまくいってないチーム)のメンバーは心理的安全性の重要性に熱く語るのに、なんでそれを語る本人達が心理的安全性の破壊活動をするんやろかねー?」 という発言がきっかけでした(よくよく考えて見るに、うまくいっているチームのメンバーからは「心理的安全性」なんて言葉は聞かないし、それは当然確保されているものだという前提で仕事をしているように見えます)
そもそも、チームにおける心理的安全性の確保はリーダー・マネジャー(だけ)の役割なのでしょうか?
自分の働き方のスタンスとして「いつでも転職できる状態にしておいて、現在の会社でベストを尽くす」という原則があり、自分のチームのメンバーにもそのほうがいいよと折に触れて伝えています。これは「言いたいこといえないんだったら健全じゃないし、そのほうが楽しく働けるでしょ」っていう経験則からなんですが、これはよくよく考えて見るに、自分自身で心理的安全性を確保する行為なのかなと改めて思いました。で、これは上司から与えられた心理的安全性ではないのは明らかです。
もちろんリーダーじゃないと調整できない事柄が諸々あるので、リーダーが心理的安全性を重視していないとそもそもうまく行かないと思うけど、メンバーがそれをさも権利のようにリーダーに要求してもうまくいかんよなー、、、、
などなど考えていくと、心理的安全性ってチームメンバー全員で醸成していくものですよねーという当たり前の結論が導かれました。だから本書にかかれているように チームの心理的安全性は、あくまでもチームパフォーマンスの先行指標 なのかと腑に落ちました。結局、メンバーひとりひとりが、同僚、上司、部下をリスペクトすることから始めないと心理的安全性なんて確保できないでしょうし、リーダーはそれをチームメンバーに促すことまでしかできないしねぇ。
自分だったら、このあたりで悩むよりも、「だれをバスに乗せるか?」で十分悩みたいなぁと思いました。そっちのほうが楽しそうだし。