こんな感じのお話をしてみました
私のスピーチ、専門職志向の人には結構刺さったようで何よりです。
— kzfm (@fmkz___) October 24, 2022
そしてこれから連想されるものは?
この話を「 断絶具合は専門性の証なので、専門職は断絶を恐れずより深い断絶を目指して自分を高めていくべき」というように受け止めた専門職の人もいましてそれは正しいと思います。私も結果としてほぼ理解者がいなくなり前職に飽きて転職したわけですから、、
こんな感じのお話をしてみました
私のスピーチ、専門職志向の人には結構刺さったようで何よりです。
— kzfm (@fmkz___) October 24, 2022
この話を「 断絶具合は専門性の証なので、専門職は断絶を恐れずより深い断絶を目指して自分を高めていくべき」というように受け止めた専門職の人もいましてそれは正しいと思います。私も結果としてほぼ理解者がいなくなり前職に飽きて転職したわけですから、、
というわけで、大阪に日帰りで行ってきました。
会に間に合うように出て終わったら帰ってくるだけなので、とりあえず、新大阪駅構内の神座で「美味しいラーメン」を 食べたくらい。あとはお土産をいろいろ買った。
米寿の祝の参加者が60人弱だったそうで、先生の人徳故なんでしょう。私は(というか私のいた学科は)必然的に2つのラボに所属するので、教授が二人いますが、その分コネクションが今になって生きてきています。
久々に同窓の人たちと交流を温めることができたのと、他社の内部の情報とか、いろいろ面白そうな情報を交換してすることができて大変良かったです。
そして今、この帰りの新幹線の中で、ブログを書きつつ明日のスピーチの内容を考えています。
「攻撃的なマネジメントがいて仕事がやりづらい」とか「話の通じない同僚がいて生産性が上がらない」とかいうのはよくある組織の悩みで、一般的な会社でも労働組合からもイシューとして上がってくるし、人事からも指摘されるし、雑談していてもあがる話題かなぁと思います。
あまりにも多いので、日本版ビジョナリー・カンパニー2は「誰を(幼稚園)バスにのせるか?」なのかなぁと皮肉りたくなりました。
自分としては、たまにパスを停めて、食事でもしながらコミュニケーションを取って、あまり日々の仕事でギスギスさせないというのが理想なのかなぁと思うのですが、、、
日本の会社だと特に誰をバスから降ろすかという議論はしにくいように思いますが、いずれせざるを得なくなると思いますので、お互いを尊重して仕事をするというのは心がけておくべきじゃないかなぁと思います。
私もより良い人材に入れ変えて強い組織を目指すのが健全だと思っているのですが、なかなか難しいですねぇ
夕方昼寝をしてしまい、眠くならないので最近考えたことを書き出しておきます。
先日、専門職のステージが一つあがりまして(詳しくはlinkedinでも見てください)HRやエグゼクティブにお祝いの会を開いてもらいました。そこで、席が隣の人事の方から「私さんはどうやって成長したんですか?人材育成の観点から興味があるんですけど」と質問されたので、「よくわかんないですねー、若いときにはまわりがドン引きするようなハードワークはしてました(させられていたが正しいのだけど)けどねー」と無難な答えを返しておきましたが、あとから考えて見るに、これは 自分が人材育成をしていくためにもよくよく考えてみるべき深い問い であるような気がしたので、ここ何日かずっと考えていました。
上司に恵まれたっていうのはもちろんあって、元ノバルティスの研究所長とかファイザーの人から色々と教えてもらうことができたのはラッキーだったと思いますが、自分はその当時何を考えて働いていたのだろうとおもいかえそうとしたところ「考えてみたらログ取ってあるじゃん、workタグを過去に遡ればいいじゃん」となり追いかけた結果、会社入ってから結構本を読んでよく考えていたなぁということに気づきました。で、自分の考えを形作ったような本をピックアップしてみました。
最近はちょっとブログを書く余裕ができているので忘れないうちにメモっている。大体10年前に考えたことが今役に立っているので10年後に役にたつはず。
— kzfm (@fmkz___) October 3, 2022
当たり前ですが論文は読書以上に読んでいます。特に批判的に読むようにしていました。
あとはプレゼンテーションに関しては当時から態度を明確にしていて、専門領域の内容を専門外の人たちにいかにわかった気にさせるかというのは必須要件としてプレゼンに臨んでいます。逆にそれができないと、昇進はできないと思いますというか思い知らされました。
余談ですが、部下の人たちには「話したいことを話すのではなくて伝えるべきことを伝えてください」とお願いしているのですが、これをうまく英訳できなくて困っています。DeepLにかけるとどっちもtellになってしまう、、、だれかいい訳を知っていたら教えて下さい。
それから昔からこういうことを考えていたらしく、今はこの組織を弄る実験に夢中なので、優秀層を引っ張って伸ばすという専門職としての役割と、後ろから押して全体の底上げを行うという部長の役割が一緒にできてそれなりに楽しく働いています。ちなみにこのエントリはその当時の組織のITリテラシ向上(いまでいうDX)をさせられたときに、低層のサポートに時間を使うのが嫌すぎて自分を納得させるためにロジックをこねくり回したときのものだ記憶していますw
チョロQはゴールから現在地まで引っ張ることでゴールを超えて進んでいく乗り物 だと思います。
組織の現状をよく把握できている人はネガティブな意見を言いがちだと思います。見えている理想と現実のギャップを正確に把握できる能力が有るので当たり前といえば当たり前なのですが。
ただ、それをこのギャップを超えていこうという人達はそのギャップをバネにというかゼンマイのように推進力に変換して乗り越えていくような才能があると思います。そういう人達の現状批判は結構面白いし、どのように未来を作り出すのかなーというワクワク感がありますし、成果という形で示すことが多いでしょう。
問題は、「このギャップがきちんと見えているにも関わらず、不満とか文句を言って改善の行動に移せない人」と「ムダにポジティブだけどギャップを理解していない人」達かなぁと思っています。
前者はただ場の雰囲気を悪くするだけなので害悪といえばそのままなのですが、前向きな行動さえ取ってもらえれば力強いので伸びしろは有ると思うのですが、後者はどうなんかなぁと思っています。
職場で怒りを覚える状況というのは、部下が自分の期待通りの結果を出さなかったという「期待と現実の不一致」に対してが多いかと思います。このあたり仏教法話から拝借してます。
そんなトラブルは日常茶飯事ですが、私の場合はサイエンティフィックな仕事でそういう怒りを覚えることが多いみたいです。そもそもマネジメントスキルはそんなに高くないことを認識しているので、なんか素直に受け入れていますが、サイエンティフィックなレポートに論理性がなかったりすると、「この程度のことも?」ってイラッとします。まぁ局所的には論理的だけどいくつかの事象をつなげると破綻するっていう人は結構多くて、全体に一貫性をもたせられるっていう人ってほんの一握りだなぁとは理解しているので、自分勝手な期待感を相手に押し付けた結果の怒りであることは認識しているのであとから反省しています。さすがにそれをそのままぶつけることはないのですが、反省する前に気づけよって自分に突っ込んでます。
さて昔のマネジメントだとこういう場合には上司が怒ることで、「期待と現実の不一致」を部下が認識してそのギャップを埋めるべく頑張るというのが定番だったように思いますが、現在ではそのような悪しき風習は廃れています。 怒ったりイライラしたところで、結果が改善するわけでもなくただ単に部下が不愉快な思いをするだけでしょう。
今どきのマネジメントは事実の指摘だけにとどめてわざわざ叱ることはしません。実際最近のビジネス本はそういうことが書いてあることが多いです。部下を尊重して部下のありのままを受け入れるタイプのマネジメントが主流かなぁと思います。
ただし、この状況は随分ハイコンテクストに寄っているなぁと個人的には思います。何が足りないかを自分で自己分析できる人しか成長できない職場はそれはそれで不健全な気がするけどなぁと思っています。なんか「ダメなやつはなにをやってもダメ」を暗黙的に肯定しているような気がしてちょっと気持ち悪い。
それとも心理的安全性が保証されている職場はローコンテクストが受け入れられやすいから健全ということなのでしょうかね?
富士にもできたのねってことで早速行ってきました。
羽田空港使うときには湊屋は外せない系なので、近所にアレ系の店ができたのはよいですね。ぜひ続いてほしいです。
先週、長かった私のタスクも一段落して落ち着いたのもつかの間、上司との1on1ミーティングで新たな宿題を与えられ(それ1on1なの?というツッコミはおいといて)週末は色々考えていました。まぁ4回目摂取してどこにも行く気にならなかったのでちょうどよかったのですが。
というわけで、 「率直に意見できるチームであればSOTAを超えられるのか?技術レベルを高められるのか?そんな甘いもんじゃねーだろ、サイエンスはよぉ(意訳)」 ってのが上司の問いかけで、私はこの問いにマネジメントで答えなければならんなー、さてどうしようかなぁというのが今週末の悩みです。
確かに、個々のスキルが高い人間でチームを組んでも心理的安全性が保証されてないとうまくいかないっていうのは明らかなんですが、逆に心理的安全性が高いチームが技術の劣る単なる仲良し倶楽部っていうだけの可能性も大いにありますなぁと。そういうチームってどうやったらより高い目標を目指すようになるんでしょうねぇ。
やはり向上心のあるいい人をバスに乗せるのが必須なんだろうなぁと考えているので、下記条件に当てはまっていて転職を考えているとかちょっと話してみたいなぁという方がいればぜひお話させてください。今月はCBI年会でウロウロしていると思いますのでそっちで直接声をかけてくださってもいいです。
コーチングでもファシリテーションでも問いは大変重要な技術なのですが、なかなか上達しないのもまた事実。
本書はよくまとまっていて丁寧に書かれているので会議でファシリテーターをやっている人はこれからやらなければならなくなる人は必読です。
最後の方に「とっさの質問リスト」があるので便利
23092022 work
フェイスブック流最強の上司から
連休中はマネジメントの本でも読もうかと図書館に本を借りに行ったら、なんとなく子育ての本を読んでもいいのではなかろうかと、子育てコーナーガン見してたらなかなかおもしろい本が揃っていた。私が子育てコーナーウロウロしているのは奇妙に見えただろうが気にせずガサゴソやってやった。
結局、マネジメントで悩むのは子供っぽい大人の扱いなんですが、人間は大人、子供と2つにカテゴライズできるわけではなく連続体と考えれば、精神的に幼い子どものマネジメントが一番難易度が高いのでそのあたりにマネジメントのヒントがあろうと。
逆に考えれば、マネジメントなんて手のかからない子供(≒大人)の子育てとも言えますねw
10何冊か読んでみて面白かった本4冊を、上から順に精神年齢の高い人から低い人向けに並べてみました。
「哲学者である著者が問答という形で新しいリーダー論を説いています」という本。なんとなく仏教法話の「怒らないこと」にトーンが近い感じがした。
もう少し先のマネジメント論なのだろうなぁと思いつつ、部とか課のマネージャーより上の経営層のレベルだとこういう域に至っている人は多そうだなぁと。読んで理解できる人には大変参考になるので一読をおすすめします。私は今は別の著作の「嫌われない勇気」を読んでます。
「優れた上司は生まれるのではなくつくられる」という内容。THE外資系って感じ。 管理職の仕事は 「人々がともに働くことでよりよい成果が出るようにすること」 っていう主張
叱らない育児、強制しない教育は子育てを放棄しているに等しい。つまり、叱らないマネジメントはマネジメントそれ自体を放棄しているに等しいので、そりゃチームは崩壊しますわな。というところまで思い至った。
傾聴のコツとかが丁寧に書いてあり、コーチングと同じことを説いているので、メンター、メンティの究極は親子の関係なのだなぁと強く理解した。
褒め方、叱り方を変えるということは、いままで自分が抱いてきた子供に対するイメージに向き合う、そして成長し続けるこどもに対するイメージを根本的に改める貴重な機会