Drkcore

17 11 2014 life Tweet

他人に質問するということ

最近質問と答えが離れていてイライラさせられるという出来事があったのでよく考えてみた。

会話の流れとしてはこれがなんとなく近いかな、または教えて君というタイプなんだろうなぁと思う。仮にOさんとしておこう。

自分がなんであれほどイライラしたのか(重要)と、相手は何を期待していたのかという分析をしてみたかったので、週末考えていた。

自分は質問された時、「ある程度自分で調べてそれでも解決出来なかったら、解決の糸口を一緒に探して欲しい、またはそのためのポインタを示して欲しい」と受け取るので、「コマンド叩いたけど動かなかった」という質問に対して「エラーの内容はなにかとか、聞くまでに検討したこと」を情報として一緒に考えるのが質問された時に取る態度だと考えている。

なので、Oさんの「そんなことはどうでもいいから、どうすれば動くのか教えてよ」っていう言い方にかなりイライラさせられ、ちょっと言い合いっぽくなったわけだが、その過程でOさんのマインドもちょっと理解した。

Oさんとしては「自分の知らないことは聞いたことが早い、以前プログラムを動かしたことのある僕なら聞けばすぐに答えられるはず」というのが正しい質問だと考えているらしく、すぐに回答出来ない僕に対して「知っているならもったいぶらずに教えてくれればいいのに…(けちくさいな(意訳))」という感情をもっているらしかった。

まぁ、3年前に実行したコードなんて覚えてないですけど、トラブっているから一緒に解決してあげようと思ったんだけどね。いろいろ考えて、Oさんの満足する答えは「昔のことなんで全然覚えてません、すいません☆」なのかなーと。

それにそういうマインドだと、毎度毎度同じような質問をすることになって、質問される方はだんだん飽き飽きしてくると思う。僕も同じような質問をされたせいもあって相当苛ついたのかなと(今となっては)。

自分の知らないことを聞くのはいいけど、それは相手の時間を奪っているということに考えが至らないのかなと思うんだけど、どうなんだろうね?

教えて君的なマインドだと驚くほど周辺知識量が少なくなるね。知識の積み重ねっていうのは複利だからなんだろうな。

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