僕は、あまり教師というものを重要視しておらず、学習はできるだけ家庭でサポートすればいいんじゃないかなぁというスタンスです。教育はオープンエンドのほうがいいと思っているけど、義務教育の仕組みの中ではなかなか難しいだろうしなぁと思うしね。
あと教師は(実際の社会を知らないし)子供に対して責任を持つわけじゃないので、そこの選択権は親と子供にあるべきだろうなぁと。そういう意味では社会でなんらかのサポートは必要なんじゃないかなと思う。例えば社会人(特にIT系)は勉強会と称して色々補っているけど、それをもっと子供をサポートするあたりに少し労力を割いてもいいんじゃないかなと思ってはいる。
「見える学力」が「知識」で「見えない学力」が「構想力」だと話が早いのだが、重なる点はあるが、大きなズレがあるようだ。しかし、「見える学力」と「見えない学力」という考え方は、学力や知的能力を考える上でとても大切な点である
自分の子供の世代が大人になった時に、今の義務教育から高校、大学っていうレールの先のジョブがよいものかどうかってのもよくわからんしなぁ。
- 「ひとはもともと勉強するもの」なのか「ひとは勉強してひとになるもの」なのか