「どの層があれば新薬開発メーカーとしての製薬企業と言えるか?」を考えてみた
メガファーマがアウトソーシング色を強めているし、国内の企業はオープンイノベーションとか言ってるけど、まぁ似たようなもんですね。コンテクストを積極的に捨てていく立場をとるか、自分とこのコアを他のとこの強みと強調させてシナジーをだそうとするのかという話なだけでひかりの当て方が違うだけで目指すとこは同じなんじゃないかな。ただ、オープンイノベーションってのは自分とこのコアの認識が出来てないから要らない物を定義できてないのかなぁというネガティブな捉え方もできるよな(響きはいいけど具体的なイメージがしにくい)
ちょっとそんなことを考えるきっかけが与えられたので、自分の理解の範囲をメモっておく。
かなり前のエントリだけど最近の製薬アウトソースとレイオフ事情はそのまんま進んでいる感じがする。how_to_makerはコスト削減のために労働賃金を下げる方向に圧力を掛けるべきだし、whats_to_makerを優遇すべきでしょう。ま、実際に「何を作るか?」を考えられるケミストを(僕の定義の中では)メディシナルケミストと言うのだけど、僕の観測範囲ではメディシナルケミストはレアだと思いますね(あまりみたことない)。同様に真のケミスト(量子化学できたりするヒト)もバブル以前の世代ではあまり見かけたことないですね。
ちょっと前に元ケミスト(別のフィールドに移った)の同僚と雑談していて、その同僚が言うには「ケミストリーには確率論もあるからねー」というセレンディピティ的な要素を匂わせたので、「僕が経営者で確率論の立場に経つんだったら、人件費が何分の一かで済むような国のヒトを雇うか、国内のケミストをそういう国に移すね。そしたら、安くて質のよい労働力が得られるし、確率論信奉のケミストの理想に合致しててwin-winじゃんw」って言ったら黙ってしまった。もちろん現職のヒトに向かってそんなことは言わないが、単に作るだけでパフォーマンスの差がどんだけ出るか?それは為替のデメリットを補えるのか?ってのはよく考えたほうがいいと思うなぁ。あと、僕の信念は「セレンディピティはwhat's to makeを突き詰めた結果起こる偶然の必然だ」なので、適当に合成してけばなんか出るっていう立場に立ちたくない(パチンコじゃあるまいし)。
学問のフィールドつまり、創薬バックグラウンド的には新規ターゲット自体が減少しつつあるので、もっと工学的に患者さんのQOLをゴニョゴニョした薬剤を作り出せる力がコアになるのかなとも思う。つまりPK-PDをきちんとコントロールしながら合成戦略を考え出せる人材をどんだけ揃えるかというのが今後ポイントになってくるのかなと思っている。PK-PDとかTK-TDに強くてきちんとメディシナルケミストにフィードバック出来て、メディシナルケミストの方でもそっちに理解があれば、それなりに上手く行くんじゃないかなぁと。そういう成功例は見てみたい気がする。
というわけで、メガファーマのファブレス化に対してうまくいかないんじゃないのー?って疑問を呈すヒトは結構いるっぽいけど、上記のようにwhat's to make系のヒトさえ揃っていればチャレンジする意義はあるんじゃないのかなぁと思っている。失敗したとしても、業界的にはhow to makerばっかりで何も変わらないしというか労働力はあぶれてるしリスクはあまり無いんじゃないかなぁ。
ただし、今、存在するメディシナルケミストとか優秀な研究者ってのは従来の集約型の研究体制の泥臭い中から蓮の花のように花開いた人材であろうから、ファブレス化を志向すれば間違いなく人材は育たないだろうなぁと思う。もしアウトソース先からそういう人材が輩出されるようになれば、世代交代が起こるだろうけど、逆にそういうことがなくて人材の枯渇が懸念されれば、従来の研究スタイルへの揺り戻しは起こるんだろう。
結局、製薬企業として必要とされるのはマーケットインの力でしよう、新規ターゲット、新規リードは何かの原石にすぎなくて、それらをマーケットまで持っていく力はPK-PDとかそれをきちんと理解できて化合物に反映できるメディシナルケミストの存在に左右されるなのかなぁと。プロダクトアウトっていう立場はオープンイノベーション的には製薬企業が取捨選択する側、つまり外側の技術なんだろうなぁと思う。
ちょっと思うことがあったので駄文を残しておく感じで。